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 金理恵(Kim Ri-Hae)さんの公演は、渋谷のホテルの地下にある能楽堂でおこなわれた。韓国の伝統舞踊。
 以前、理恵さんが、ある芝居にゲスト出演したことがあり、わずか5分ほどであったにもかかわらず、ステージ上の素晴らしい身のこなしに、うっとりさせられた。一度、きちんと観てみたいと思っていたのだ。
 その夜、踊りは美しく優美で、予想した通りだったが、私の気持ちをひどく揺さぶったのは、音楽だった。チャンゴ(太鼓)やテグム(横笛)、ピリ(縦笛)、アジェン(琴。弓でも弾く)など、音色の新鮮さばかりでなく、演奏者の音やリズムに対する確かな選択のセンスには、感動すら覚えた。伝統楽器を使い、伝統舞踊の音楽の演奏であったが、間違いなくかなりの即興が含まれている。ステージ脇に陣取って座った6人のミュージシャンは、揃ってキモノのような装束をまとい、韓国独特のツバのある帽子をかぶってはいるが、やっていることは超洗練されたジャズである。彼らは、演奏中にお互いの演奏を聴いて、笑ったり、声をかけたりもするのだった。曲は決まっている。おそらく導入部やエンディングには決めごともあるのだろう。ただ、とても自由。自由で、楽しんで、遊んでいる。
 だいたい私は日本でフリージャズと呼ばれているものに我慢できない。全部とは言わないが、多くはフリーでもジャズでもなく、パターン化した“なれあい”である。だがこの日、私は久々に愉快なジャズを聴いたという気分になった。
 終演後、久々に(林)英哲さんを見かけて、私は挨拶もそこそこに、演奏の素晴らしさを早口でしゃべりだした。興奮すると、他のことは何もかも忘れる。そのミュージシャンたちと共演の経験もあるという英哲さんはもちろんですよという顔で、彼らの音楽への姿勢、韓国と日本のリズムの違いや、文化の違いなど、興味深い話をしてくれた。最後に私たちは、ミュージシャンたちの顔が、表情が、最高に良かったということで意見の一致をみた。
 あまりにしあわせだったので、じっとしていられなくて、そこが渋谷だということも気にならず、街をずんずん歩いた。
里芋
 里芋がおいしい。
 皮をこそげて米を盃一杯ほど入れて(米のとぎ汁がなかったので)ことこと湯がいている。煮汁はもう作ってあって、里芋が茹であがるのを待つばかり。それでも、食べるのは、あした。じっくり味がしみてから、ね。きょう食べるのは、選り分けた小ぶりの皮付きのほうで、こちらは別な鍋で。茹であがったら山葵を擦って、わさび塩でいただきます。やはり日本酒でしょうね。ぬる燗でいくか。
 今年は里芋は当たり年だったようで、味もいい。いただきものも多くて、このところ里芋長者の私はぬくぬくとしている。きぬかつぎ(前述の皮付き小芋の茹でたもの)をわさびで食べたらおいしいですよと教えてくれたのはイーダさんで、さすが、山葵の産地での贅沢な食べ方だなあと思ってやってみたらあまりにおいしくてやみつき。東京の料理屋などでは、塩をちょちょっとつけて食べるけれど、山葵をつけると風味が効いて一段とグレードアップする。しかも、茹でたてだから、もっちりほくほく。あれっ、と思うともう食べきっている。
 寒くなって来るといつも里芋が恋しくなる。あの「ねばり」や「とろみ」が、寒々しい季節を濃いものにしてくれるのだ。鍋やみそ汁にも、薄切りの里芋を入れると一段とうまみが増す。そういえば、ケイコさんがいつか「里芋ごはん」というのを持って来てくれてことがあった。さつまいもの「芋ごはん」ならお馴染みだけど、里芋というのは初めてだった。ごはんの間に間に黄金色がぴかぴか光る「さつま芋ごはん」とは違って、ちらりほらりひっそりとグレーの里芋が見え隠れする。ねばりがあって、ほんのり甘くて、おっとりしたやさしさのある「里芋ごはん」。なかなかいけるですよ。

※きぬかつぎ(衣被)っていうのは小芋じゃなくて、ほんとは里芋の子を皮付きで茹でたもののことだけど。
うめき
 新聞を片手に私は「ああっ!」と呻いた。
「オバマ氏の来日」でも「アフガンのテロ」でも「日航の純損失1312億円」の記事でもない。「ソウル3日間1万5800円!」の広告でもない。私の顔を歪ませたのは、先週のパズルの回答欄だった。毎週土曜版にはパズルコーナーがあるけど、私が唯一手を出すのは「間違い探し」で、それも難易度が星4つのもの(星は5つまでだけど、星5つというのは見たことがないから、多分、星4つというのが一番むずかしいのかな)。やり方は、左右逆になったカラーイラストの絵が2枚あり、左右の絵の中の30カ所の間違いを探し出すという単純なもの。絵は8つに分割の線がひかれており、「間違いの数が一番少なかったブロックはどれでしょう?」というわけ。先週、その4つ星のパズルをやって、どうにも最後のひとつが見つけられない。というので、今週の土曜版で確認せずにはいられなかったワタシ。最後のひとつは、木の上に腰掛けた少年の前髪の一部の大きさが違っていたというもんだった。なあんでこれがわからなかったんだろう。100回は見直したのにさ。
 最初ざっとチェックして、25くらいの間違いはすぐに見つけられる。それからが持久戦なのだ。進まなくなると席を立つ。しばらく別の用事をする。茶碗を洗ったり、花に水やりをしたり、掃除をしたりして、やおら新聞を取り上げ、第二回目のチェックに入る。ここで2つは見つかる。30引く27だから、あと3つだね。10分以上にらめっこして、しかし、にっちもさっちもいかない。また立ち上がって、洗濯をする。ついでにリンゴのコンポートを作る。コーヒーを入れる。また机に吸い寄せられる。間をあけると新鮮な目線になるのよね。あっ、あるじゃないの、木の幹の形が微妙に違う。あとふたっつ! さらに15分経過。もういい。出かけよう。買い物に行く。ついでに友人宅へ顔を出す。30分ほどおしゃべりして、戻るとまた新聞を手に取る。人物の服の模様、背景の雲の形、そこらじゅう飛んでいる木の葉の向き.....。わからん。間違いに丸をつけた箇所を数え直す。やっぱり28しかない。あきらめて(でも、とりあえずだけど)、1日寝かせておくことにする。
 翌日。何十回もチェックしたはずのところを、また調べ直す。やらなきゃならない用事がいくつも頭をよぎる。が、あとふたつである。集中する。おおっ、この少年の上着の裾を見よ! 角が丸いっ! あと、ひとおつ!! こうして夕焼け空に日は沈む。
 パズルの答えはわかっているのだ。間違いが少ないブロックは、この時点でもう明らかになっている。正解をメールで送って図書券を抽選で当てるためにだったら、もうOK、終了したっていい。でも、そんなことじゃないのよね。最後のひとつが見つからん。これは由々しき事態である。くやしい。残念無念。
 以前、ジクソーパズルにはまっていたことがあったなあ。1000ピース、2000、3000とエスカレートしていく。できるだけむずかしそうなのを選んで買って来る。何週間もかかる。動かせないから、場所も取る。こういうのは、興味のない人にとっては、なあにがおもしろいんだろ、ってことなんだけど。
 費やされる時間。忍耐と焦燥。最後のご褒美は、ささやかな達成感のみ(ときには挫折感)。何の役にも立たない。そこが、うれしい。